常識を壊した先に見えるもの

常識を壊した先に見えるもの

我々は常識というものに縛られすぎているのかもしれない。

あなたは、朝の6時に起きて朝食を食べる。

満員電車に揺られながら出勤し、お昼に昼食を摂る。

夕方まで仕事をして自宅に帰り夜食を食べる。

お風呂に入って寝る。

我々は、この何気なく行っている、ごくごくありふれた生活サイクルに疑問すら感じずに生きている。

なぜなら、生きていくということはそういうものなのだという勝手な解釈を持っているからだ。

なぜ、我々はほぼ決められた時間に食事を摂ろうとするのか?

別に1日2食でも1食でも構わないはずだ。

食べたくなった時に食べる、でもいいはずだ。

あなたはしっかりと管理された時間の中で、まるで鎖で繋がれたかのように縛られて生きているということを実感しているだろうか?

きっと、実感はしていてもそれが当たり前だと思っているのだろう。

しかし、この当たり前という常識を一度疑ってみることだ。

我々人間は、時間という概念を作ってしまったせいで命という存在を知ってしまったのだ。

我々が苦しむのは、時間という概念を持ってしまったからなのだ。

あなたはあと何年生きる?

あなたの愛する人はあと何年生きる?

時間を意識することで、まるで牢屋に閉じ込められて死を待つような生き方だ。

我々は、時間という流れを捉えてはいけない。

今すぐ手持ちの時計は全部捨ててしまったほうがいいのかもしれない。







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